富田俊明
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空飛ぶ絨毯東京に飛ぶ
オーサ・ソ−ニャスドッター、辻耕とのコラボレーション。絨毯、料理、ヴィデオ。 東京神田のアフガン家庭料理「カブール食道」でのイヴェント、東京、2004年。


オーサとアフガニスタン人亡命画家アセフ・ムフィードのカーペット作品「Life=XXX」の上でアフガン家庭料理を楽しみながら、アセフの物語に耳を傾ける。

パスワード展の準備のために、オーサをコペンハーゲンに尋ねたぼくは、当時オーサとコラボレーションをしていたアセフ・ムフィードと引き合わされた。アセフは若い画家で、自国の状況を批判する絵画を発表したかどで国を追われデンマークに政治亡命してきていたのだった。彼はオーサとともに、自身の危険な亡命の旅を反映したカーペットを制作中。その不思議なダイヤモンド型は、デンマークの入国管理局または外務省長のオフィスの部屋の形で、これはその長官の部屋に敷くことを目的にしていた。(実際に、彼らは完成した作品を長官に贈呈に行っており、その有様をとらえたヴィデオは、パスワード展にもカーペットとともに展示された。)
3週間ほどの滞在の間に、ぼくはアセフと親しくなった。アセフはアフガン料理のホームパーティーをし、ぼくは初めて見るアフガン料理を手伝った。お礼に、ぼくも日本の手巻き寿司の会を開いたりし、おおくのアーティスト仲間がこれらのパーティーに集いアセフへのサポートを約束した。ちょうどその折、アセフの難民申請がデンマーク政府より却下されるという悲しい出来事が起こった。短い期間だったが、アセフと彼をとりまく状況、また彼を支援するオーサを始めとするアーティストたちとの対話から、アーティストと表現を巡る政治・社会状況について、考えさせられる場面が多かった。

さて、帰国してからパスワード展の準備に入り、先輩で友人でもあるアーティスト・辻耕さんとこのことについて話していて、東京・神田にアフガン難民の方が運営するアフガン家庭料理のレストランがあるというので早速行ってみた。文化というのは、危機感のないマジョリティにとっては単に消費するものでしかないかもしれないが、文化はそれ自体の価値だけではなく、マイノリティのコーナーに追いやられた存在にとっては有効な存在証明・自衛手段ともなっている。文化のこうした側面は通常、マジョリティには意識されていない。ぼくは、辻耕さん、そしてオーサとアセフと話し合って、パスワード展に合わせて、カーペットの作品をかの食堂に持ち込んでのイベントを企画した。ぼくの個人的なモチベーションはどちらかというと、政治的な意図よりも、あの数週間生活を共にし親しくつきあったアセフのことを思うからだし、日本の友人に彼のことを紹介したかったからである。実際多くの方が参集してくださり、良い会になった。また文化の無意識を意識化するというアイディアは興味深かった。
ちなみに、カーペットはその食堂が買ってくれることを期待したのだがやはり難しく、その後東京のギャラリストでアフガン関係の問題に高い関心を持つ方が買い上げてくださり、そのお金をアセフに送ることができたので、ちょっとしたチャリティ・イベントともなった。

フライヤー-1
フライヤー-2
イヴェントの様子
アフガニスタン人亡命画家アセフからのヴィデオメッセージ