富田俊明

プロジェクト

ちょうどきみのうわさをしていたところだ(work in progress)
公共空間の壁にスプレー。1998年〜


現代美術の新たな可能性の一つである「コラボレーション」を方法論的に再考する契機として、また一方、他者との関係の中で「作者」というアイデンティティを自己に問い続ける個人のシリアスな態度として、富田俊明の活動には目を見張るものがある。ある時、巷でよく見かけるスタイルの落書きの一つに目を留めた富田は、その中に“AMESme”という不可解な文字列を見つける。すでに複数の書き手によって何度も更新されているこの平面は、不断に変化し続ける過程の内にある。そこに不特定多数の主体による通時的なコラボレーションの連鎖を見出した富田は、みずからその連鎖の内部への介入を試みる。彼はその文字列に若干の手を加え、それを“AFTER me”というセンテンスに仕立てたのである。「私の後に/私の背後に/私に倣って」・・・・・・この短いメッセージの中で“me”(この語は、富田が手を加える前からそこに記されていた)に対応する「私」とは一体誰のことなのか? この主体の不確定性こそが、富田のコラボレーティヴな活動を読み解く鍵になっているのではないだろうか。
「あなたのなかには泉がある。」富田と、彼の友人である作家の澤登恭子との語らいの中で、富田のポートレートとして、澤登によって一枚の水彩画が描かれた。今回トリエンナーレの展示会場で冒頭に置かれることになったこの「泉の絵」を起点に、富田の旅が始まる。しかし旅の途中で何かを発見するたびに、彼は「泉の絵」に描かれている場所へと再び引き戻されることになる。その後、彼自身が描いた無数のドローイングは常に「泉の絵」に戻ってくること、すべては「すでに彼女の絵の中に描かれていること」に、富田は気づかざるを得なかった。「かたりの なかに よびだし ふたたび あふれ させよう。」この永劫回帰的なヴィジョンの中に、作家の主体性が委ねられている。富田が関わろうとしてるコラボレーションの空間は、他者との語らいの中でしか記述しえないものを呼び出すための空間である。コラボレーションに先立つ個人としての作家の場は、もはや存在しない。そして、そのような空間の中で、この作家が富田俊明という特定のアイデンティティを探ろうとすればするほど、一方で彼の態度は、常に匿名的、普遍的な「作家」の姿を記述することになる。
(上埼千 「横浜トリエンナーレ2001」カタログより)

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