富田俊明
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泉の話
ワークショップ、相模原市立大野台小学校、神奈川、2001年


赤坂  この『泉の話』でも、人を訪ね歩いて、そこに埋もれている物語を掘り起こす。その物語を掘り起こし掘り起こししながら、最後にワークショップの子どもたちに、紙に描きながら返していくでしょ? すごく面白いなと思ったのは、地図を描いた上に子どもをダイダラボッチに見立てて寝かせたでしょ? 身体感覚で彼らに伝えようとしてる。もしかしたら、伝承の世界というのは、我々は言葉だけで聞いているけれども、かぎりなく身体感覚のレヴェルで物語が語り継がれていたんじゃないかという気がするんですよ。だから、身体的に物語を体験している。読んでいる。・・・・・・その物語に自分の身体感覚で共感して呼応しながら、自分たちの神話的な時間を生き直しつつ、それを再現していく。そういう目を持った時には、その何もない空間が、実に豊かな意味と記憶と、物語に満たされた土地になる。たぶん、我々が忘れてしまった土地とのつきあい方というのが、そういうことなのかなぁということを感じているので、富田さんがここでやられたことが、芸術という行為の中で、そういうことを新しい仕掛けのようにしてやってるんだなぁと思うと、とても面白かったですね。
富田  『泉の話』では、伝承は壊れていても、その源泉に辿り着くことができるし、何もないところに繋がりを作ることができる、そういう可能性を感じました。物語や場所は与えられるだけではなく、生み出すこともできるし、それを生きることもできるんだなと。子どもたちに話し始めたら、世界中のあちこちで、焚き火の傍らで、あるいは赤い砂の上に地図を描きながら、踊りながら、土地の神話を語ってきた無数の語り部に、自分が繋がっていると感じました。  
 子どもたちは母校の後輩で、土地の感覚を共有しているんですけれども、それだけではなくて、僕が喋っていると、その子たちが踊りだすんですよね。泉の絵を見せて、この人影がみんなに水を持ってきてくれるんだって、と言うとみんな「飲みたい!」「じゃあ飲んでいいよ」。するとぱぁーっと集まってきて絵の中の泉から水を飲んでいる。子どもにとっては実際にその水を飲んでるんですよね。その場で。「だんだん僕の後ろに人影がいるような気がしてきて、それは泉のほとりにいたあの人影でした」とか言うと、もう僕の後ろで踊ってる子がいる。子どもには聴く事も単なる受身の行為じゃない。僕が語った物語が即そのまま生きて演じられるというのには、すごく驚きました。物語自身の力というより、語って聴くというごくシンプルな行為の能動性の中にある力なんでしょうね。山に入って拝所を巡ったり、オーストラリアの沙漠を旅すれば、土地は自分の身体の延長として繋がっていて、それ自体生きていて一緒に呼吸しているのが鮮やかに感じられるし、また人々がそのようにそこを眺めてきたということも分かります。そういうことが普段の生活のなかで、だんだん分かりにくくなってきました。
 子どもたちとこういう体験をして、僕の想像の最も飛躍するところに、子どもは一番ビビッドに反応してきました。大人にこの話をすると「脈絡がありませんね」って言われるだけなんですけれど(笑)。赤坂先生がおっしゃっていた「空間」を「場所」に変える心はちゃんとある。子どもこそがそういう力を持っているなぁと思って。だからこれは本当に幸福な作品だったと思っているんですけれど。
赤坂  そういう話は何か救われるね。
対談「民俗学の旅、芸術の旅」赤坂憲雄×富田俊明、東北芸術工科大学美術館大学アニュアル・レポートより抜粋)


第二部「泉をたずねて」の聞き書きを行なった神奈川県相模原市大野台周辺は、著者が生まれ育った地域であるが、大学への進学後は、時おり帰る場所になった。しばらく離れている間にも生じた変化が目につく一方で、子どものころに遊んだり、昆虫採集やスケッチに行った近くの雑木林や灌漑用水路の跡は、緑地や遊歩道になってきのうの風景をとどめている。
本の出版と展覧会の準備のために、留学中のアメリカから日本に戻って、家の周辺を散策する道すがら小学校のそばを通りかかったときに、二十年ほど前に通ったのと同じこの場所で現在を生きる子どもたちと共同で、作品が作れないだろうか・・・・という気持ちが生まれた。
地域の人々や両親が語る記憶の物語が、過去から未来へとつながる共同の声であるならば、きのうの自分と同じ場所で今日を生きる子どもたちは、過去と明日の自分の分身でもありえる。子どもたちに土地の記憶とヴィジョンを伝え、皆で身近な風景や心象を描く体験をとおして、過ぎ去り変わっていくばかりではない世界をつなぐ環があることを確かめられるなら―。
相模原市立大野台小学校に協力をお願いすると、すぐに先生方の御理解を得ることができた。折からの教育改革に合わせて、地域学習や社会との交流に取り組む新しい授業プログラムの準備が進められている時期でもあった。夏休み前の時間を利用して、三年生の生徒たちと語り、一緒に制作する機会を持てた。
『泉の話』付記より抜粋)

photo: Asami Tada