富田俊明

プロジェクト

ウィークリーマンション・プロジェクト
ヴィデオ、プロジェクター、アーティスト・ブック、その他生活道具一式。 ウィークリーマンション木場牡丹 west part in 40 501号室でのイヴェント、東京、1998年


転居一週間前に「引っ越しました」のお知らせを送った。7日間の6畳ワンルームは、まるで一瞬一瞬移り変わる劇場のようだった。そこでは全く面識のない人たちが出会い、互いの存在に耳を傾けたり、自分の話を見ず知らずの人に語ったりする。ぼくのヴィデオやアーティスト・ブックやオブジェがあるときは無視され、あるときは注意をむけられたりしていた。そんなさまざまな語りや注意やリラックスの中で、ぼくもまた、友人たちの語りや起きてくる出来事や、一人一人のしぐさ、その時の部屋の雰囲気や、誰もいなくなった時を楽しんだ。
もちろん現行のシステムが、人間のコミュニケーションに権力的経済的に介入してしまっていることに対する代案を提出するということもある。が、この転居にまつわる一連の出来事を引き起こしながら、むしろ、話者と聴く者の間の権力と互換性、未知と既知の人間関係の中では人はどんな態度を取りうるのか、作品化された語りと偶然持ち込まれる語りとの境界線、といった諸問題のことを考えていた。無数の話者が入れ替わり、話者が同時に聴き手でもあるような、あらゆる対立関係が宙づりになる場所を生み出しながら、その中に自己の語りを投げ入れるということだった。ある面では暴力的、ある面では人間の新鮮な力が発揮されるような場所を求めたのは、ぼく自身の語りが、まさにそのような場所で取材され収録され鍛えられたものだったからである。守られていない、野生の場所に立った時にこそ、野生の舌が獲得される。そのような舌は、自分のうまれた場所でこそ生き生きと語りだすだろう。

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