(左)ジーベン少年がぼくの旅のノートに残したメッセージ。
左利きの筆跡で、上下逆さまなのは、彼が反対側に座って書いていたから。
ジーベン少年は、
子ども同士がよく言うように、
「うちに遊びに来ない?」と言っているのだが、
文字通りに直訳すると
「我我の家郷迄来て見ることができますか?」となる。
彼のもう一つの質問
「あなたは記者じゃないの?」
とともに、この誘いであり問いでもある言葉は
ぼくの心を打った。

それは、
ここ福建省沿岸の彼の小さな村に
レジデント・アーティストとして滞在するぼくが、
この土地で誰であり得、
何をしうるのかを教えてくれている。
ジーベンと彼の仲間たちに出会ったのは、
ある昼下がりの砂浜だった。
ぼくはヴィデオカメラを片手に、
近くの陸繋島を撮影に行ったのだが、
浜に着くと、ちょうど島と浜を繋ぐ砂州が
波の下に呑み込まれていくところだった。
陸から切り離されていく島を
撮影するビデオのLCDモニターに、
その島から波をかき分けやってくる人影。
それがジーベンたちだった。
強い好奇心が彼らを異人に惹きつけ、
おまえは誰なんだという質問を溢れさせた。
ビデオを持っていたから、
ジーベンがぼくを記者だと思ったのは無理もないが、
彼の誤解と質問・誘いは、
この土地でのぼくの創造のインスピレーションとなり、
またぼくがどのようにこの土地に
居場所を求めたらよいかを教えてくれた。
こうして当時のことを今日思い出してみると、
どうもそれだけがぼくの背中を押してくれたわけではなさそうだ、
という気がしてくる。
すなわち、
ジーベンたちがまとっていた自由の香りのことだ。
遅い夏休みに砂浜でぶらつく少年たちよりも
自由な存在があるだろうか?
ぼくはこの自由を、
彼らがシェアしてくれた煙草の煙とともに
贅沢にも胸一杯に吸い込み、満喫した。
だからぼくはこの悪童たちの友情に
実際の行動で酬いる必要があったのだ。
そしてぼくは「記者」として、
3つの作品を作ることになった。
すなわち、「我我の家郷迄来て見ることができますか?」シリーズ、
「二重体」、「城隍古地」である。