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我我の家郷迄来て見ることができますか?
砂、写真、テクスト。 「東アジア文字芸術の現在」、芸術の殿堂・書芸館、ソウル、1999年
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グラフィティでよくつかわれるステンシル技法を用いて、ぼくはジーベン少年から与えられたメッセージ“我我の家郷迄来て見ることができますか?”を、彼の筆跡のまま、江ノ島や各地の砂浜に転写した。展覧会のあった韓国でも、仁川沖の芍薬島でまず転写し、次いで展覧会場の床にもジーベンのメッセージをステンシルした。ステンシルといっても、スプレーで転写するのではなく、型紙にそって砂を取り去ったり(砂浜)、砂絵のように撒いたり(展示会場)し、さらに転写の度に砂をそちらからあちらへと移していった。展示会場の砂は江の島の黒い砂であった。これらの要素は、全て1997年福建省沿岸の小さな村でのジーベン少年との出会いの状況を反映させている。
「東アジア文字芸術の現在」と題された展示は、ソウルのアーツセンター・書芸館で開かれ、日中韓3カ国から、そしてデザイン・書・美術の3分野から作品が集められたが、文字列の上下が逆さまになっているのは、ぼくの作品だけだった。またオープニング当日に掃除のおばちゃんに掃き清められてしまったのも、ぼくの作品だけだろう。
彼がそれをぼくに向けて書いた時にはぼくには上下逆さまに見えていたことにもちろんそれは由来するのだが、ぼくはジーベンの特徴ある左手の筆跡だけでなく、文字を通して2人の人間がメッセージを伝達し合うことを、その瞬間の生き生きとした発生の現場を“生”な感じで伝えたかったからだ。この“生”な感じはぼくたちの生活からどんどん姿を消しているが、ジーベンの村でのあの時間はそんな“生”なもののあたたかみやエネルギーを強く感じたものだった。このうっとりするようなメッセージとそれにまつわるこの“生”な風をぼくは観客と共有したかった。
漢字はそもそも青銅時代の中国で甲骨文字として誕生し、限られた神官が神と交信するための秘密の道具だったのだが、その後王たちの権威を示すかのように岩に縦長に彫られたりしたように、ニーズに合わせて様々な書体が生まれた。時代は下って、個人の筆跡がその人となりを表わすと認められるようになって、漢字はやっと神の領域から個人の領域へと降りてきたのだといえる。ところが「我我の家郷迄来て見ることができますか?」では、筆跡はぼくのものではなく、個人に属するというよりも間に漂い、また上下も逆さまになったまま、まだ相手に向けて届けられていないし、王たちの碑文のように堅牢ではなく、観客に蹴られたりまき散らされたりして心もとないが、ぼくはこんな刹那のうつろいの中に、むしろ送り手と受け手の注意がコミュニケーションに向けて初動する瞬間のハッとさせる強さを感じてしまうのだ。
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