富田俊明

プロジェクト

二重体
ヴィデオ、プロジェクター、ノート。 「チバ・アート・ナウ‘99 知覚の実験室」、佐倉市立美術館、千葉、1999年


1997年夏、ぼくは滞在していた中国福建省の浜辺の小さな村で、偶然地元の人に小さな古い廟に案内された。一緒に歩いていた友人でアーティストの辻耕さんとともに、この廟の縁起と歴史の記された碑文をノートに写した。「二重体」はこの時の体験がもとになっている。この村の浜辺で出会ったジーベン少年はぼくのことを記者だと思い込んでいたのだが、ぼくはその役割をぼくなりに創造的に果たそうと思って、この作品を企画したのである。すなわち記者は記す者だが、ただ記したものをリポートするのではなく、何に出会いどのようにそれを記し、またその間内面ではどのようなことが起きていたのか、という点もレポートすること。また幸いにも一緒にいた辻さんとの相互インタヴューを通して、複数の視点を提示することで、観客のより自由度の高い情報の受け取りを可能にすることなど。
インスタレーション会場には、導入として、ぼくと辻さんによって写し取られた、互いに微妙にことなる、廟の縁起の写しも並べて展示された。この時は、廟の縁起はまだ翻訳されておらず、実際の内容のレポートは『城隍古地』に譲ることになるが、それでも文中にこの廟を破壊した旧日本海軍の記述を読み取ることができた。
展示はさらにヴィデオ・インスタレーションとして展開する。、2つのカメラで別々にしかし同時に撮影されたアングルの異なるビデオを左右に並べて再生し、微妙にずれたり同調しあう2つの音源とともに、実際の体験だけではなく、2人の人間が互いの体験を語り合い聴き合うときのせめぎ合いをも反映させている。
インタヴューでは、互いの体験を理解し合うために、家族史やこれまで受けてきた教育を振り返ること、道具学ともいえる道具が使用する人間とその人間の周囲に及ぼす力に関する考察、音楽におけるポリフォニー理論など、多岐にわたって展開していった。
『二重体』という作品は、内容のみならず展示方法においても、上記のように、倫理的な問題を提起する仕掛けがなされている。すなわち、個と歴史の出会い、道具がヒトに対して持つ特別な効果、相互主観的な語りによって観客により自由な視点を提供すること。特に相互インタヴューという形式によって、作家=情報の送り手の権威(Authorship/Authority)そのものを解体・検証するプロセスそのものをマルチ・ヴィデオ・プロジェクションによって視聴覚的に明らかにする表現は、この作品の大きな特徴である。

展示風景
辻と富田のノート
ジーベン少年
東北芸術工科大学での展示風景